かくれが

とあるスマオタの備忘録

SMAPと新しい地図と中居と、木村。

2018年5月にデビューした、Kōki,さん。数ヶ月前のある日、彼女のInstagramをぼんやりと見ていて、ふとすべてが腑に落ちる感覚があり、なら仕方ないな、と思ってから、わたしはすこぶる健やかに生きている。長いこと、きむらちゃんの選択が、らしくないというか、わたしが(一方的に)二十年以上知ってる木村拓哉と、齟齬があった。地図の3人がいま歩いている道は、それぞれにあのひとたちらしいし、この状況になっても事務所に残ってる中居のこともわかる。きむらちゃんだけがわかんなかった。でも、娘の未来のためなら、この現状を選ぶ木村拓哉は、わたしの知ってるきむらちゃんそのものだ。なら、それでいいじゃない。この現状と引き換えに、彼女が望む未来が手に入るように祈っている。

……が、娘のためにはSMAPが存在しちゃいけないなんて理屈は、本来ないはずなので、ほんっと世の中クソだなと思うし、わたしたちはそれに負けたってのは、考えれば考えるほど腹立たしいし悲しい。しかし、二年半どこにも着地できなかったわたしの気持ちは、ようやく落ち着いた。5人がそれぞれ、それぞれの選択をしたということだけは納得できた。中居がサムガの最終回で言ってたことが、納得できた。

まあ、許してねえけど!! 家族を盾にとって言うこときかすとか、そんなやっすい悪者まじで存在すんの。いや知らんけど。ぜんぶわたしの妄想なので。繰り返すが、ここに書いてあるはわたしの内心の物語であって、どうでもいい作文である。でも、この件に関しては、誰かのどうでもいい妄想を押し付けられるだけなので、わたしはわたしの妄想があれば十分だと思う。

今年も、年末が近づくにつれて、身体的に症状が出るほどに、具合が悪いが、それでも2016年1月以降でいちばん元気に生きている。SMAPに会いたいなあ。地図のファンミのチケットは取れた。どんだけ泣きながら見ることになるんだろう。

月記ぎりぎりすべりこみ書き込み。いま、ここに書きたいことがいくつか、脳内ではわりと固まってるんだけど、書く余裕が……。10月はなんかずっと怒っていた。プラベでも仕事でも怒っていた。怒っていると、ありとあらゆるリソースが目減りしていって、すごく余裕がなくなるので、怒るの良くない。しかしこれが怒らずにいられるか!という感じだった。し、いままだ怒らずにいられないことが頻発する状況が続いていて良くない。本当に良くない。楽しく生きたい。その反動……でもないのだが、人とご飯を食べに行くというのを、わりとたくさんやった10月。いろんな人といろんなものを食べていろんなお話をした。そういうときにも、怒ってる話をしてしまうので、怒るのほんと良くない。とにかく怒ることをうまく処理していこうと思った10月である……。

余裕出たら、書きたいことを書こう。はてダが終わる年内に。

TEAM NACS 第16回公演「PARAMUSHIR〜信じ続けた士魂の旗を掲げて」東京後半

赤坂ACTシアター 3/29昼,30,31夜 + ライブビューイング4/1

終わったー! 楽しい舞台ではないんだけど、とにかく2ヶ月楽しかった!! わたし生きてる!! 生きる! ……と、この舞台に夢中で通って、泣いて泣いて、すっかり憑き物がおちたようになっていたわたしは、この最後のエントリを仕上げるのを忘れたまま、WOWOW放送も終わり、今週はもうDVD・BDがリリースされてしまう。雑な下書きのまま、半年近く放置してしまったのを、慌てて投稿するよ。

まずは、東京日程後半の思い出を。最終週に当日券に4回並んで、1回だけ入った。毎回ほぼ全員当選なんですけど、その日に他の用件あると、立ち見さすがに体力厳しいなあと、キャンセルしておりました。「立ち見ですがよろしいですか?」って確認してくださるの親切。お席当たってる人のほうが多い回もあるのに、なかなかにヒキが悪いw その分、もうあとがないので入った前楽は、キャン待ちからのお席ご用意で、ありがたかったんですけども。初日にはこだわるけど、千秋楽はそうでもないので、ライビュがあるとチケ取りが気楽でいい。今回、ファン以外の人を数人お誘いしたというか、ライビュならお安めだしぜんぜん取れるから、チケット取っとくので観て!と、観てもらえて嬉しい。こういう場合千秋楽だともう、気に入ってもらっても観てもらう機会がないので、わがままとは思いますが、中日あたりにも1回ご用意願えないだろうか。

人が生きて死ぬ。それだけの、それだけだからこその強い強い情景だったこの舞台。新幹線に飛び乗った初日大阪から、赤坂の桜に彩られた東京公演まで、忘れられない日々になった。29日のカテコで安田さんが「桜庭さんも毎年こうやって桜を見ていたのではないか」というようなことをおっしゃってたが、わたしもそんなようなことを考えながら、あの階段をのぼっていた。まったく余談だが、桜も咲き誇っているが、花粉の飛散量もすごかった赤坂。思い出の春の赤坂。2年ほど絶望を振り払えず、2016年1月より前にしか、戻りたい時間が存在しなかったんだけど、戻りたいと思えるポイントができた。この春の赤坂になら、何度でも通いたい。

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映画「愛しのアイリーン」

http://irene-movie.jp/

あんまりネタバレとか気にせず感想を書いたが、読んでも何がわかるわけでもないな……。いつもそうなるなあ、わたしの感想。まあ、自分のためのメモなので。

映画を観る前の宣伝と、わたしがこの映画から受け取ったものの乖離がすごい。「衝撃作」だとか、「観終わったあとは殴られたような」(主演談)だとか、「安田さんのファンの女性はショックを受けるんじゃないかな」(監督談)とか、どれもぜんぜんピンとこない。というか、そのへんのフレーズ、わたしはぜんぜん魅力的じゃないんですけど、実際に観た映画そのものはとても魅力的だったので、なんかもう余計なこと言わんといてくれるか!? みたいな気持ちになった(笑)。観終わったあとのわたしは、殴られもせず、やわらかいお布団に投げ出されたくらいの気持ちでした。ラストめちゃめちゃ優しい。あの荒んだ過程の果てに、このオチって、優しい以外どう受け止めるのか、わたしにはわからない。誰も幸せになってないかもしれないが、誰もが優しく、そして愛することのできる人がいる、めっちゃ優しいはなしだった。

なんかとにかく、何見ても聞いても、監督が、こんな映画女には無理みたいなことをおっしゃるが、この映画は一面、女性が好むとされているロマンス映画である……と思う。(そして、こんな感想を持つ女はこの映画の客としていらぬと思われる気がするが、まあこれはわたしの被害妄想である。)これたぶん、原作では、くっそみたいなはなし(褒め言葉)を「愛しの」なんて言っちゃうロマンチックなハッタリタイトルで、読者に喧嘩を売る意図があるんだと思うんだけど、それが更に半周しちゃって、ロマンチックな映画になってるように思う。アイリーンは坊さんには心を開くがいっしょにいられないし、まったく心を寄せられないヤクザは、ついてったらもしかすると明るい未来があったかもしれなくて、選び取ろうとした岩男のことは失っちゃうんだけどな。安田顕伊勢谷友介福士誠治から王子様を選ぶはなしですよ(※選ばない)。逆に岩男の視点でも、買ってきた嫁の無邪気で可憐なアイリーン、酸いも甘いも噛み分けたい大人フィリピーナ(わたしはこのひとが好き……)、職場の薄幸そうなシンママ、真面目メガネ女子と、いろんな恋……いや恋じゃないんだけどなー、岩男となんかしらの関係性と感情がある。どれかいっこでもうまくいってればいいんだけど、うまくいかないのもまたロマンスだと思う。

描写が直接的でえぐいのはわかる。性的な表現で年齢指定がついてる映画観たの久しぶりなんですが、この映画のセックス映像とにかくなんにもエッチじゃねえ。なんというか、なにも羨ましくならない。ポルノでもないし、TLのような性表現がある少女漫画みたいでもないセックス映像って、見たことないかもしれない。ほんとのセックス盗撮したらこうなるのかもしれないが、わたしはそういったものは見たことがない(し、見たくない……)ので、よくわからない。そういう生々しいんだか、みすぼらしいんだかなセックス表現で、なおロマンスを描いてるように見えるので、とにかく反転反転の映画である……。暴力表現の方は、地上波では見かけないレベルだけど、映画としてはそこそこかな。わたしはわりと平気だった。

だらだら書いてしまったが、斜に構えたくせのある映画ぶってるけど、ふつうにめっちゃおもしろかったですよ! ということがすごく言いたい……。優しい人たちが懸命に生きて、誰かを愛していた。いっそ「真実の愛の物語」とかだっさいキャッチフレーズつけといてくれたら……いや、それも怒ってるだろうな、わたしは(笑)。木野花すげえええええ!とか、ほかにもいろいろあるんだけど、みんな思ってるだろうから語らなくていいや(笑)。

どうでもいいが、安田さんのファンの女性として、わたしが(安田さんの役の上で)ショックを受けることって、むしろ、今をときめく吉沢亮くんの恋のライバルとして、チョコレートをあーんしてくれることのほうの気がする。えっ、そんな役回りもらえるんです!? ありがとうございます!! という衝撃。いわおさんのほうがね、やりそうな役なんですよね。わたしあんまり安田さんを観るつもりで、この映画観てなかったな。それでこそ、なのかもしれません。