かくれが

とあるスマオタの備忘録

プロフェッショナル 仕事の流儀

大人になると、泣くことはあっても、わーわー泣くって、なかなかないと思うんですが、久しぶりにわーわーと泣きました。家のものがうろたえるほどに(笑)。

「変な話、いまでも、戻ってきてくれないかな、と思うことあります」

中居さんが時々使う「変な話」という前置きは、あまり変な話ではなく、中居さんが中居さんらしい話をするとき用。この「中居さんらしい」は、もちろん年々変化をしていて、96年のあの日の中居さんと、今日の中居さんでは、もうぜんぜん違うものだったりもするけれど、この15年あまりをすべて含んだ「中居さんらしい」ことばでした。もうね、いま、これを書いていても、目が潤んでしょうがないの(笑)。わたしが中居正広というひとと、SMAPというアイドルグループを好きになったのは、もう少し前のことだったのですが、わたしに呪いとも言えるような執着を植え付けたのは、やっぱりあの6人最後のスマスマだったんだなー、きっと。
あの日のわたしも泣いていた。泣く中居を見て泣いた。そしてもうすでにグループ内での個々の立ち位置を確立しつつあったメンバーの、いつもと違った様子にも泣いた。森がいなくなったことを悲しんだことは、いままでなかった気がする。悲しんじゃいけないと思っていた。当時、そこまではっきりと意識していたわけではないけど、5人のSMAPを好きになっていきたいから、6人のSMAPがなくなったことを悲しまないことにしたんだと思う。戻って欲しいとも思わなかった。戻ってきたら、あの選択を受け入れたことに、意味がなくなる気がしていた。
でも、違うんだね。森がいないから、今のSMAPがあるし、森がいたから、今のSMAPがある。わたしは、森が抜けたからSMAPを好きになったし、森がいたからこそ、SMAPを好きになった。そして、森のいないSMAPに、森がいて欲しいと思ったって、いいんだね。わたしも中居ほどじゃなくても、森がいてくれたらな、って思う瞬間を、これからは作れる気がする。ネガティブな意味じゃないと思うんだ。こんな楽しいこと、6人でやったらどうなってたのかな、っていうのは。

ずっと言ってるけど、わたしが最終的にSMAPに期待することって、永遠なんて言わないから、あと5〜60年、SMAPでいてくれることと、ビストロSMAPに、某オートレーサーがしれっとゲストに来ることです。

森くんの話ばっかりになっちゃったな(笑)。森以外にも、慎吾のメランコリーな時期に触れたり、両事件(笑)に触れたり、つっこんだことやって、おっかなびっくり、でもじーんとしたり、メイキング的な部分では、わたしたちにはおなじみなんだけど、特別SMAPに興味のないひとには意外かもしれない、勘所が抑えられていて、嬉しくてたまらなかった。ステージ、いいんですよ、ほんとに。わたしすら入れてないので、一回観てみて!!とは、言えないんだけど(笑)。ファンは文句言いがちですが、ライブDVDも、どれもいい作品だと思います。わたしたちのSMAPは、こんなにも素敵だ!と、誰しもに伝わる、わたしたちにも再確認させてくれる、素敵な番組でした。ありがとうNHK!!頭から終わりまで、号泣を挟みながら、ずっと涙ぐんでました(笑)。再放送したり、DVD化して残してくれたりしないのかなあ。きむらちゃんのラジオなんかで、密着ぶり話してましたが、そんなに回してたにしては、個人の映像少なかった気がするし。お蔵出ししてくれていいのよ!ww