かくれが

とあるスマオタの備忘録

TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」

8/2-3 小浜(福井)公演・常高寺

前回、十三番勝負と銘打った地方公演+大都市での番外公演で、なにせ十三番がおもしろかったので、今回、しょっぱなからの小浜各務原米子、京都飛ばして香南とまわりたかったけど、どうしてもそこまでできなくて、とりあえず最初の小浜2公演。それでもハードル高めの初日です。主に交通機関的に。19時開演なのに、終電21時17分だったの……。いや、きっちり90分で終わって、危なげなく帰れましたが。今後の公演も、公演時間はこんなもんじゃないかなあ。

最近、飛行機なり新幹線なりで、がーっと現場に入って、さして観光もするでなく、さっさと戻ってくる、時間ぎりぎりのエクストリーム遠征が多かった中、のんびり鈍行の旅で一泊、しかも夜公演のみで、2日目の昼間は若干時間を持て余すほどでした(笑)。

街を旅するという目的の中に、この公演がちょこんとあったら、ありがたく。

http://www.office-cue.com/diary/contents_view.php?id=10969

こんなん言われても、ピンとこなかったというか、無理して時間こじ開けて、行ける限りの現場に行く、エクストリーム現場オタの私には関係ない話かと思っていたのですが、一日小浜で、素敵なお店でのんびりとお茶したりして、観光名所見て、観光名所にありがち意外と山道でちょう歩いてへとへとになったりして、夕方に2日目の公演に入ったら、たしかにぜんぜん気持ち違ったなあ。そういえば、前回のひとり語りも、2公演目が、そこそこ観光からの現場で、いろいろと思い出深かった。

お寺のお堂での公演だったんですが、初日は舞い上がってるうちに始まって終わってしまったものの、2日目は入場して、お堂に座っていると、だんだんと日が落ちていくのに気づき、開演の頃にはちょうど人の顔がわかりづらくなる黄昏が訪れ、安田さんが語り始めて、ああこれがお堂の公演の意味か! と。幻想的というよりは、胡散臭い……いや違うな(笑)、畏怖とか、不穏とか、かといってネガティブな受け取り方をするものでもない、独特の雰囲気に満ちておりました。

観光の話は割愛……と言いつついっこだけ。作品のモチーフでもある八百比丘尼の入定洞見てきたんですが、比丘尼が入定の際に洞穴の入り口に植えたという椿が、現地の説明看板で「白椿」と書かれていたことが、驚きでした。お写真。イラストなんかでは、現地で見かけたのも含め、だいたい赤く描かれてる……とおもう。少なくとも私がイメージしてたのは赤だったし、周囲に聞いてもそんな感じ。今の季節は当然咲いてないので、色が確認できないんですけど、画像検索かけたり、公演パンフレットのお写真たしかめたら、たしかに白い花咲いてる。思い込みってすごいですねえ。そういう固定観念の打ち壊しみたいなの意識して、2公演目観られたのもよかったなあ。いろんなことがある旅先、素敵ですのう。

公演パンフレット、とてもいいです。というか今回グッズがとてもいい……しかしなんといってもパンフレットがいい、お写真がいい。お美しい。ああもう最高だわ。和に寄りすぎないイメージで、安田顕が担う怪しく美しいどこか倒錯的なイメージの具現化ですんばらしい。ありそうでないんだよな、こういうお写真。ああ美しい。どの安田さんも美しいけど、テレビのお仕事では出会いにくいであろうこういう面を、ちゃんと推していただけるのありがたい。あと何冊買おう(笑)。

まずは、とても充実した旅になりました、福井。前回、異空間の夢である十三番勝負に対して、日常と地続きの番外公演は、それはそれで地に足のついた、安田顕の仕事として、とてもおもしろかったんだけど、今回の大都市公演はどんな感触なのかなあ。次は京都ですてゆか明日です帰省と兼ねてるのでいまほんとは毎日でも行きたいよ。能楽堂なので、前回の番外公演のような雰囲気ではないかな。

以下、ネタバレを含む感想など。たぶんねえ、すごく感じ悪いおたくだな、わたし(笑)。現時点での感想なので、公演終わるまでには、いろいろ覆ると思います。初日と2日目でもだいぶ覆ったもの。
おもしろかったです。素直に。安田さんの作ったものというよりは、安田さんが好きそうなものだなあ、という印象。これをやりたい! と選んだ原作のようですし、当たり前か。前回は、なにからなにまで安田顕のにおいがするつくりだったけど、今回は他のお芝居を観るような姿勢で観られた。舞台上もひとりっきりじゃないしね。

初日は正直、テンポがあまりよろしくなかったのか、ちょっとしたことが気になって、考え込んで、現実に戻ってから、また物語に入り込みなおすみたいな、ちょっとたるい感触だったんですが、2日目はその辺きちんと直しが入ったのか、物語への入り込み方がすごかった。初日に気になった滑舌があやしかったり、意味がとりにくかったりした箇所が、ほぼほぼなおってるので、ちょっと考え込んで現実に帰っちゃう感じがなくて、あっちゅーまに終わったなあ。客席が(おそらく初日よりガチオタが少なめで地元の方が多めの)2日目のほうが緊張感あったのも大きいかもしれない。前回も今回も、この「安田顕ひとり語り」って演目は、会場や客席、その他諸々ひっくるめた、空間そのものを楽しむものなんだろうなあ。前述しましたが、黄昏の寺のお堂の独特の雰囲気、緊張感の強い客席、反面外から聞こえる子供の声、電車の音、犬だって鳴く環境音。そんな中で、ボロボロの日傘を持つ女が、音もなく現れ、語り始める。いつの間にか、そこは寺の本堂ではなく、ギターの音色と、安田さんの語りだけ。

ギター、素敵ですなあ。安田さんのひとり語りのイメージって、音楽ライブでいうところのアコースティックライブみたいなものを、役者としてやりたいってのがあるんじゃないかと、かってに思ってたので、今回ギター奏者が追加されたのは納得の展開。あともうひとつ、2009年の「宮城野」のことも意識してらっしゃるのかなーと。あれはバイオリンですべての音を奏でるお芝居で、大変雰囲気のあるものでした。お仕事に対して好き嫌いを言うような方ではないけれど、きっとあれお好きなんだと思うんよなあ。わたしは、音楽にほんとうに疎くて、聴いたところで、ギターの良し悪しとか、ちっともわからないんですが、この作品の中で耳にする音として、すごく素敵な音色でした。ただ、あんなに芝居すると思わなかった古澤くん(笑)。

古澤くん。最近、事前情報はなるべく仕入れない方向で(なので、雑誌インタとかパンフレットの対談なんかも、買ってお写真見て、公演後まで積むので、ほとんど読んでなくて、ここに書いてることがめっちゃ的はずれかもしれないし、詳しく見てらっしゃる方は鼻で笑っててくださいw)いるので、どういう方でどういう音楽されてるのか、ちっとも知らないままですが、おそらくお芝居をされる方ではないんでしょうなあ。すごくおもしろい。わたしがこれをおもしろいと感じるの、おそらくは演出意図どおりだと思うので、悔しいんですけど、おもしろい。例えばあれが、ギターを弾ける若手俳優さんとかなら、もっとスッと芝居に入ってくると思うんですが、古澤くんはセリフの準備をする、すごいする。そして安田さんをじっと見て、ここぞというタイミングでセリフを口にするなり、歌うなり、もちろんギターを奏でるなりする。あの人は演者ではなく、「音を発する装置」なんでしょうなあ。わたしがすごく古澤くんを見てることを、意識してなさそうでおもしろい。わたしは、お芝居くらいしか、ステージショーを観ないので、音楽のステージでは当たり前なのかもしれないけど、客が見てることをあまり想定してない人が、舞台の上にいるのがすごくおもしろい。ともあれ、安田さんの変な無茶振りにも懸命に応える古澤くんの今後が、楽しみでしかないです。てゆかあんまりいじめてあげないで安田さん!!www ちなみに、軽率に君付けしているのは、おそらく今年安田さんの次に現場数を踏むことになる方だからです。

諸々、安田さんのセンスってさすがだなあ、と感心する反面、知ってはいたが、わたしはあまり安田さんと趣味が合わない(笑)。いやあたしの趣味などどうでもいいんですが。でも、もうちょっとシンプルにきれいめにやって欲しいなあ、と思う。笑いの挟み方や、衣装の装飾や、(それがおもしろいと感じているのを含め)古澤くんの声が介入することが、過剰な気がしてしまう。日傘そこまでぼろぼろじゃなくてもよくないかな、ぼろぼろなことばっかり気になっちゃう、とか。衣装にしたって、古澤くんみたいなのに、シンプルな羽織もの……ってつまりパンフレットのお写真みたいなのでも、やれたのになあ。あんなに盛った衣装だと、せっかくの所作が見えないのだ……。もっと安田顕だけを見せろと思ってるのかもしれない。初日に、メイクが過剰だと感じたのも、そのひとつなんですが、これは2日目にはあっさりめになってた。まあ、そもそも、すぐに汗で流れてた(笑)。いろんなことが過剰に感じるけど、それが安田さんの武装なのかもなー、とも思う。わりと臆病なひとなのだ、そういえば。衣装についてはもうひとつ、これたぶん先日の27時間テレビのメドレーの中居を見たのを引きずってるんだろうけど、襟元から見える首筋と身体、すげー赤いので、さすがに冷房設備ない会場もあるのにと、心配になってしまう。喉元が赤くなる人は、すごく萌えポイントではあるんですが、本当に身に危険があると感じると、萌えだのなんだの言ってらんなくなるなあ。いや、そーゆーの、きちっとされてるだろうし、客のあたしが気にするのって、失礼だと思うんですけど。でも、もっと涼しい格好でもよかったのよ……。ついでに、あそこまでなのに、顔色変わらないのすごいなあ、安田さん。女優は汗をかかないみたいなやつか。汗はすごいかいてるけど。2日目、落ち着いたメイクにしてきたので、ほんと最後までさほど変わんない感じする。

おどさとかおとうちゃんと、おまつの手の芝居は、すっげえ見どころだなあ。女形ってたぶん手がかなりの勝負なんだけど、安田さんはまずそんなにきれいな手の人じゃない(男らしくてかっこいいけど! わたしはそーゆー手の男性が好きだけど!!)のに、すごくきれい。前述のとおり、衣装がもっさりめなので、所作がしっかり見えるのが手だけになるからというのもあって、すごく手に意識がいく。足元ももうちょっとスッキリした履物ならよかったのになあ。見たい。かわいい娘さんの可憐な動きを、老練の熟女の所作をする安田さんがちゃんと見たい。なんなら、ジャージであろうお稽古姿でいいので見たい。ついでに、頭の手ぬぐいが下がってくると、表情が見て取れなくなるので、それももっと見たい。

常に、語り手の老おまつ、過去の時間軸のおまつ、そのときの男の三人+もうひとりくらいを行き来し続けるけど、そこで混乱することはほぼないなあ。熊本パートの、おまつ、あの人、あの女の首切りが、ちょっとわかりにくいかしらん。「嘘つき!」が誰のセリフなのか、ちょっと混乱する。その後も繰り返し出てくるシーンなので、勘違い修正できるけど。ただ、おまつとあの女の混同って、意図的なものなのかな。ここらへん、言葉にしちゃうと、どれも違うんだろうけど、あの時点から剃刀になったあの女と、おまつの人生は、重なっていくのだ。過去の時間軸のおまつが、年齢重ねてってるのもぜんぜんわかったので、安田さんのお芝居自体はほんと間違いないやつ。素敵。

とある女の人生を語るひとり語りだけど、男たちがどれだけ魅力的に見えるかがキモなんだろうなあ。最後のおとうちゃんがたぶん一番難しいよなー。あの人と、おどさと、あいつと、おとうちゃん。最高にどうでもいいが、最初の熊本のあの人はたくちゃん、蝦夷の馬糞風のおどさがリーダー、名古屋の活動弁士がようちゃん、満州のおとうちゃんがしげちゃんだな。観てる時、リーダーくらいで考えはじめ、4人目まできっちりハマって、とても嬉しかった(笑)。いや、それはわたしの脳の隅っこの与太話ですが、こうやって具体的な像を受け取ることができるのって、お見事です。あたしは、あいつが好きだなー。あいつのことを守ってやりたい! って、おまつが自分から思うの、あいつだけなんだよな。他の男には縋って生きてるから。守ってやりたいのに、あいつはおまつのこと助けて死ぬからなー、かっこいいなー、好きだなー。あいつに愛着沸くのは、あいつだけがなれそめ語るからってのもあるかな。かわいいよあいつ! でも、人気あるのは、熊本のあの人の気がする。が、そもそもの問題として、誰が一番好きか、かっこいいかという見方をしてるのが、わたしだけの気もする(笑)。

おまつは、あの女が本当に殺した侍を愛し、愛されてたのかを疑うわけだけど、おまつとあの女は写し身でもあるので、つまりおまつも数々の男を本当に愛してきたわけではないんだな。最後におまつも結局、おとうちゃんと心中しそこなうループ。日傘持ってる語り手の老おまつって、やっぱもう死んでるんだよなあ、たぶん。傘の暗喩って、普通は庇護とかなんだろうけど、異界かしら。満州で、剃刀で頸を切ったあとに、死んでんのかな、たぶん。気を失って、気がついたのは、もう幽霊なんかなー。たぶんなー。幽霊って言い切っちゃうとつまんないやつだなー。あの女が、剃刀になって、おまつの人生を辿ったように、おまつは日傘として、誰か、っていうか、おまつの人生を語る老婆とともに在るみたいな解釈が、わりとストンとくるかなー。考えるな感じろ系のことなんだろうけど、わたしそういうの理詰めで落としたくなるほう……。老おまつの持つ剃刀は、きっともうなにも切れないんじゃないかしらん。老おまつは床屋やってるとは言ってないよねえ。たぶん。ちがったっけ。次の宿題。なんにせよ、日傘どっから出てきたんだよおおおお!ってなるのが止まらない(笑)。あの女の血をたっぷり吸った剃刀、舶来の回転椅子、なんとかの鏡、自転車、映写機と映写箱、畑、銃剣、ゾーリンゲンのハサミ、他諸々。いろんなアイテムを手に入れた経緯とか由来とか、いちいち説明されるのに、日傘どっから出てきたのか。日傘と、日傘を持つ女のことが、スコンと抜けてるみたいな。これ、根本的に、わたしのアプローチが間違ってるような気がする……。

誰かの人生を追う、人生観を問う物語に接したときに、わたしはわたしの人生しか生きてないことに対する妙な絶望感と、この人生を生きてるのはわたしだけだという自負と責任感みたいなのが沸くんだけど、そもそもこの感想もわたしにしかないわたしの人生から生まれるものだということが、とてもありがたいことのように思えます。

その他、いまいちまとまりきらないメモ。

  • 満州パート、床屋、捕虜の虐殺と、モチーフ的に「私は貝になりたい」を感じるけど、貝が1958年、原作が1972年なので、意識はされてんのかなー。
  • 熊本は西南戦争(1877年)の兵役→北海道開拓の炭鉱夫→活動弁士の思想家(出会いのときの演説に出てくる米騒動が1918年)→満州の開拓夫(広島原爆投下が1945年)  ってことで、やっぱりあんまりきちっと時間の経過意識しちゃいけないやつだなあ。日露戦争にもどっかで触れられてた気がするけど、どこだったっけ。
  • ただ、熊本の弱々しい小娘が、蝦夷での溌剌とした女になり、熱意ばかりの活動弁士を助ける姐さんに、そして農場経営者のパートナーとして辣腕を振るう遣り手にという時間経過を、芝居で見せてくれるのが、とてもいい……!
  • 初日は下手、2日目は上手と、逆サイドで、見えなかったもの見たけど、「罪人を斬ったあとはいつもそうだけど、その夜はあの人激しかった」みたいなとこで、舌なめずりするおまつえっろ!!!!えろ!!!あの時点のおまつまじ小娘なのになんやねんその女性像!えろ!!えっろ!!!
  • 最後の老おまつの語り、いきなり汚れた土の話はじめるの、違和感なくもないんだけど、原作の成立時期を思うと、公害なんかがすごく言われてる時期だし、しょうがないのかなー。
  • 上手から見える流木の影の諸々、めっちゃ楽しいけども、あれが観られる会場って、すっごい限られるよなあ。おとうちゃんのとこにくる軍人とかもいい……。
  • 下手のステージサイドは、能楽堂の会場あるから、わりと観られるけど、上手はほとんどないかな? その辺意識されてるのか、下手ばかり顔向けるので、上手は背中ばかり見ることになるんだけど、見といてよかったなあ。巨木に寄り添うおまつのマイムとか、とてもいい……
  • 2日目は2回ほど日傘踏んだな。初日にそういうのほぼなかったので、2日目のゆる安田だなあ、と、ちょっと微笑ましくすらなった……(笑)。初日気負いすぎ、2日目ゆるみすぎという印象がいつもあるんですけど、今回はそれくらいで、安定感あるなー。
  • 初日カテコ、「初日を岐阜の小浜から」っていう、わりとあかん間違いして笑われて、「あーっ!」って、頭抱えて崩れ落ちて、おかわいらしゅうございましたな。

最後に、公演とは関係ないんですが、2日目公演前に、会場近くで、地元の方と思われる、知らないおばあさんに話しかけられて、不思議なお話(お察しください)を聞いたのが、いくらなんでもできすぎだと思う。あの芝居を観に訪れた土地というシチュエーションとして。ジージー、カナカナとセミが鳴いて、風が渡っていたよ……。

続きます→TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」 京都 - かくれが