かくれが

とあるスマオタの備忘録

TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」 東京

東京・シアターサンモール 8/23,24夜,25夜,27,28

東京公演、折り返しちょい過ぎ。東京が真ん中なんだなあ、この公演。前半に行きたかったところが多く、後半も1箇所しか行けないので、わたしの気持ちは終盤に突入。東京は、マチソワ連投は避けて、3日行って、1日休みペースです。いっそ全ステしようかと思ったんですが、わたしそこまでの気力も体力も備えておらず……。マチソワ避けて、って書いたけど、先日、見切れ席追加販売があったので、マチソワの日できちゃったけど。どうしても、見切れ席から観たいシーンがあったんだ。家から会場行って、また家に帰る東京公演は、やっぱり別物だなあ。普通に舞台です。観劇です。それはこの「安田顕ひとり語り」という演目としては、違うような気もするのですが、舞台としては完成度が高い。照明や音の設備の良さとか、やっぱり作品への集中力高めてくれるなあ。そういったものに極力頼らないで、生身で勝負をしたいというのもわかるし、どっちが優れているということではないのだと思う。別物。ただ、福井のあの環境が恋しくはなります。しかし、東京に来て、やっと夢中になってるというのも確か。

以下、例によって以前の記事を既読前提の、ネタバレ感想。連日観劇の合間では、いまいちまとまらなくていつもよりさらに散漫……。
見てのとおり、物語の構造とか、そーゆーのばっかり気がいってたわたしが、福井2回、京都1回、東京4回と、都合7回目の27日の観劇で、はじめて泣いた。おまつが、本当にひとりぼっちなんだと思うと、悲しくて悲しくて泣いた。これ、この話の根幹の部分なのではないか。7回目にしろ、3週間あまりにしろ、あたしおっせえよ!!!www 鈍感か。客席、泣いてる人よくいるし、みんなずっと悲しかったんだね。わたしそうでもなかったよ。このひとがかわいそうで悲しいひとだとは理解してたけど、それでわたしが心底悲しかったのは、これがはじめてだった。ちかごろ、年齢のせいか、なんでもかんでも泣くんですけど、語りは一回もなかったんだよなあ。熊本のあと、蝦夷の前、現在の公園の松の木を抱くおまつが、すごく優しい顔をしてるのが好きで、東京ではセンターブロックでもおまつの表情が見られるようになってて、嬉しかったんだけど、27日まずここでうるっときて、最終的に最後のシーンは号泣。何が違うんだろうなあ、それまでと。たぶん、違うのは、私の受け取り方、受け入れ方なんだと思うんですけど。正直、東京公演初日、わたしはこの物語に対してこの先何にも辿りつけないだろうし、もうそんなに感じ方も変わることないだろうから、こっからは自分の好きなポイントをじっくり味わっていこうみたいな気持ちでいたんですけど、大どんでん返しだわ……舞台は魔物……。

東京公演は、たくさんおともだちに会ったりもするので、人と感想を言い合う機会も増えたんですが、熊本のあの人があの女の首を斬るときの「嘘つき!」を、わたしはすんなりとあの女のセリフだと思ってたんですが、ここわりと迷いどころなんだね?とか。そういや、わたしも初日戸惑ってたぽい(感想書いとくのだいじだね!)。わたしはそれを、演じ分けが整理されたので、すんなりとあの女のセリフに聞こえるようになったんだと思ってたみたいなんだけど、あれが誰のセリフかわからなくなるところが、ひとり芝居というカテゴリの演目の、おもしろい部分なのかもしれない。何気無く見ちゃうシーンなんだけど、蝦夷の馬場レースのあと、流木に座ってゼエハアし出すとこで、特に何かセリフを発する前に、顔を上げただけですでに、あれがおまつでも誰でもない「安田顕」ってわからせてるの、すごいねえ。あれ、当たり前に受け入れてるけど、表情ひとつでやってのけてる。演じ分けという点では、ほんとなにもかも見事なのです。ってことは、「嘘つき!」の混乱は、それ自体が演出なんでしょうねえ。おもしろい。わたしはやっぱり何回観ても「嘘つき!」は、首を斬られたあの女が言ったように聞こえる。地面にごろりと落ちた首が、嘘つきと叫ぶ。あの女も、会えなかった。ってことは、あの女も死ねなかったんじゃないのかな。これもう初見のときに言ってるけど、あの女は首を斬られて剃刀になっておまつとともに放浪し、おまつは頸を切って日傘になって放浪してる……が、やっぱりしっくりくるなあ。おまつというのは、彼女ひとりのことを言ってるわけではないみたいなことなんだけど、言葉にすると、なんか違うなあ。うーん。演じ分けの話に戻りますが、「おまつ!いま帰ったぞ」のあの人が、他のシーンと違うノリなのは、おまつがそのとき想像してるあの人だからなんだなー。ちゅーかあれ、観るたび変わるが(笑)。扇子を振り回して喋る講談スタイルも、誰でもないナレーションみたいなもんだと思ってたんだけど、あれもおまつね。山鹿で一円! 大関山で二円! あれやこれやとたまわって、あたしは大事にそいつを貯めた。

それを言うなら、この物語はすべてが、老おまつの口から語られていることを、安田さんが具現化しているだけなので、「安田顕ひとり語り」なんですね。語り、という形態としては、前回のほうがしっくりくるなあ、と思ってたんですが、これは老おまつの語ってる物語なのだ。東京、というか、ホール公演になって、演劇っぽくなった分、体感は変わったんですけど、舞台の上のおまつが語ってる感じは、すごく増した。安田さんの存在感は遠くなって、老おまつが近くなったというか。たぶん、そのせいで泣いたりするようになったんだと思うんだけど。

洗練されたホール公演は、おまつがすごくきれいだ。ほんときれい。安田さん、がんがん痩せてってるようにお見受けする(そら痩せますよね……。1回やったら、1キロ2キロ落ちてるんじゃないかしらん。バナナジュースなんてハイカロリーなものが、おいしいはずだよ……)んですけど、あの肉のない、骨に沿って皮の落ちる、男性っぽい首筋を見せて、色気を感じさせるのすごいなあ。ほんの何気ないとこでも、名古屋の、ラップに入る前に、打ち壊しの群衆を見て、舞台奥へ後ずさるおまつが、女らしくてとても好きなんだけど、どうしてもラップからの影絵に印象持ってかれちゃうよなw 名古屋おまつかわいいよう。

ずっと、名古屋のあいつがかわいくて好きなんだと思ってたけど、名古屋はおまつもすげええええかわいいよう。上手に入って、はじめて気づいたけど、灰小屋でふたりで柿食べたあと、ちゅーしてるね!!?? 傘かざしてるし、完全に上手に顔向けてるので、ずっと知らなかったよう。おまつちょうかわいいんだけど( ;∀;) その直前の、袖で口もと拭いてあげてるのだけでも、かわいくて爆発したい。自転車で旅に出てからの一連のマイムが、とにかくかわいい……。そういや、東京は自転車のとこ、スキップになってるなあ。
おまつの人格にはあまり連続性がなくて、そのときそのときで印象違うけど、名古屋のおまつは、ひたむきで力強くてかわいくて、幸せそうで、とにかく大好きだ。街頭の集会で演説するあいつを、おまつはずっと見ていて、あの夜転がり込んできた時に、ちょっとした運命を感じて助けてやって、2、3日でもう旅に出ちゃうので、あいつあっさり食われすぎ(笑)。姐さん女房いいね! かわいくて肉食!!www

かわいいといえば、熊本おまつ。しょっぱなの、駆け寄ってきて「いたくない? いとうはありませんか?」から、ずっとかわいい。最初のお手紙(ころころころころしによっと のやつ)読むところが、ちょう好き……あそこ、はおりものの襟をきちんと合わせてるのもあって、安田さんの身体の薄っぺらい感じが、おまつを華奢なつくりに見せてて好き。そんな可憐な熊本おまつですけど、福井で木の陰になってるとこで見た舌なめずりが、東京では普通に見えるようになってたんですけど! えっろ! かわいい顔してえっろ!! いや顔はずっと安田さんなんだけど! 起き上がってきたら、「お心置きなく」とかって、清純派なのに!! やっぱりおまつずっと肉食!www あのシーン、足の動きも大変に艶っぽいので、見えると嬉しいです!w

蝦夷のおまつはよくわからない。蝦夷って、その時間軸のおまつが、あんまり出てこないんですよね。ずっと、老おまつが、おどさの話をしてる。そのせいか、おどさはあんまりおまつのものって気がしない。みんなのおどさ。そのみんなに「おまつのとこのおどさ」って呼ばれてるけど。なんとなく、前回の語りの、ひろしとかずちゃんの面影見たりもする。蝦夷編って、おどさの死亡フラグが丁寧に積み重なってくので、おどさが二日酔いから覚めたみたいに起き上がったときの、ああもうあかん……死ぬ……という息詰まる感じが、広島とは違った意味でしんどかったりもするなあ。

広島というか満州のおまつは、愚かで哀れという、悲劇の女だなあ。初日は、おまつを置いてったどころか、手を下させたおとうちゃんに、妙に憤慨したんだけど、おとうちゃんは21人埋めたときに、こんな国ぜったい滅ぶって確信を抱いて、それでも、一時でもおまつに幸せをくれたわけで、そこまで怒ることないと思うよう8/2のわたしw 同時に、あの人の後を追えなかったあと、何人の男に死なれてもここまできて、おとうちゃんにあそこまでさせたくせに、あっさり死のうとしたおまつにも憤慨してたんですけどもww死ぬのかよ!ってwww怒りすぎや……8/3にはもう怒ってなかったんで、大丈夫なんですがwww わたしが憤慨していたのは、おとうちゃんには、おまつの生死がどうでもよく見えたからだと思うんだけど、剃刀を持つおまつが生きながら死んでるというか、境界の存在なんだったら、生死はどうでもよくなるよなあ。うーん、うまく言えないんだけど。なんにせよおとうちゃんは、おまつが後を追って死ぬとは思ってないように思える。事実、死ななかったし。おとうちゃんが、おまつに撃てって言うの、酷ではあるんだけど、あの瞬間のおとうちゃんが、誰よりいちばんおまつを必要としてくれたとも言うんだよなあ。おまつに撃たれたかったんだもん。

死ねない、と言われるから、死なないことが悪いことみたいになるんだが、おまつからするとそれが真実なんだけど、たぶんおとうちゃんも、直接的におまつを助けて死んだあいつも、床屋におまつを残して戦ってたあの人も、ついでにおまつが死ぬことなんて考えもしなさそうなおどさも、みんなおまつに生きてて欲しかったんだよなー。剃刀も、あの人から見れば、廃刀令で不要になった愛刀が、おまつの剃刀になるのなんて、お守りみたいな意味合いだろうし、おどさも愉しんで襟足剃ってくれてて、あいつは「命の恩人」と呼んでたので、目線を変えれば禍々しいばかりではないのだ。男たちの、おまつに生きてて欲しいというそのときどきの願いは、成就してる。それは、剃刀のあの女が得られなかったものでもある。そんなの、おまつの哀しさには関わりないんだけど。剃刀は、女の化身のようであり、実はおまつの心を映すアイテムのようで、幸せに過ごす名古屋のおまつの持つ剃刀は、あの女のこと忘れたみたいになってるし。

おとうちゃんを撃つときのおまつの言葉は「あたしも後から行く!あの世で会いましょう!!」なんだけど、つまり、熊本のあのひとの「よか、会わしちゃる」という言葉を、あの女に「嘘つき!」と否定されても、おまつは信じてたんではないか。でも、会えなかった。どの男とも、最後には会えなくて、おまつはたびをする。彷徨う。これからも、知らない街で、いろんな男に会う。そして会えなくなる。

老おまつの語り始めって、朝日が眩しくて、語り終わりは西日がギラついてるので、半日話してるんだな。知ってた気はするけど、意識して観てなかったな。 東京始まってから、日に日に、リアルの日没時刻が早まってて、ソワレに向かう道が真っ暗になってきたので、すごく意識するようになった。もう、西日がギラつく季節でもない。最後の、日傘に入るように誘った後に、さみしそうな顔をするおまつは、ほんとうにいい。「頭もスッキリしてますわ」って言うってことは、相手に語ったことを否定されてるんだろうし、そして男は去ってしまうんだな。蝦夷のうぬぼれ鏡のくだり、鏡拭いた後、ぴょこっと顔出すおまつかわいい……じゃなくて、あそこのセリフが、すごい呪いなんだけど、そもそも呪いを振りまく女ではある。関わると死ぬ。そう見えないように注意を払ってる物語に見えるんだけど、最後に世界を呪って、傘の下へ男を誘うので、やっぱり呪いの女なのではないか。傘の下は異界だ。おまつ視点ではなく、語られてる男の視点になると、都市伝説みたいなお話なんだろうな。ちょっと話戻るけど、うぬぼれ鏡の前で、襟足を剃るのは、頸を切る暗喩だろうというのばかり気にしてたけど、鏡を覗けば、おまつ=あの女が映るから、あそこで「嘘つき!」が回想されるんかな。

言語化はまったくうまくいってないけど、私の中で、それなりに物語を咀嚼することには、ようやく満足がいきかかってるんですけど、その上で最後に残るのはやっぱり、ひとりぼっちのおまつがかわいそうだ。悲しい。リピーターの私は、蝦夷で、おどさが7人半の子供を抱えた寡婦を助けた話をするときに、おまつにないものがいっぱい見えて、先回りで悲しくなる。

その他いろいろ。

  • ホール公演は音がいいせいか、古澤くんの歌がもっと素敵に聞こえる。福井より京都、京都より東京だなあ。
  • ただ、雑音ですごく気が散る。福井のあの環境音も、京都の携帯音も気にならないのに、サンモールの雑音が気になるのも、おかしな話ではあるんだけど、そーゆーとこが、お芝居度合い高いと感じます。お芝居としては、かなり静かな部類なので、余計に。
  • 最初のギターの音に、エコーかかってて、あーお芝居だー。と。これまでも、いくつかの音とセリフにエコーかかってたので、冒頭もそうかもしれないんだけど、もう一音目から印象違ったので、音ってすごいね。
  • 28日に、もしかして最初のギター、メロディちょっと変わった?
  • 28日は、安田さんのセリフの言い回しやテンポなんかも、ずいぶん違って聞こえたけど、ちょっと集中が乱れるお席だったので、わたしの受け取り方かなあ。たとえば、名古屋のあいつが、床屋に逃げ込んできたときに、シベリア出兵を批判するくだりが、前はわりとまくし立ててたと思うんだけど、今日はがーっと喋りかけて、ふっとトーンダウンして、言いにくそうに喋るみたいになってて、かわいらしさアップ。
  • 照明設備がいいので、日傘映えるなあ。名古屋の坊主に剃るとことかも、そこだけぽっかりあかりついてて素敵。悲壮感のあるシーンのほうが、さらに照明の力感じる。
  • 影絵は微妙に見にくい(笑)。東京公演前に、PONで習ってたので、特に期待してたわけでもないんだけど、わたしはどこかで増えるもんだと思っていたらしく、初日にいつもどおりの影絵終わったあと、拍子抜けして吹いてしもたw
  • 25日に、犬が増えた時も笑った。習ったリスじゃねえのか!www 今日から始めたって歌ってました。
  • 27日には、犬なくなって、カエルになってたが、クオリティ低いwww てゆか、影絵映る壁が上手から下手に変更になってて、そっちにわけもなく吹いた。あれ、でも、ずっと下手だっけ? いやどっちでもいいけどwww 「ウケたわ〜練習の価値ありね〜」「価値ありですね〜」って歌ってて、なんか意味がよくわからないが、うけてたのでまあいいww
  • 27日は、工場長のくだりで、野々村ネタにもっていってたんだけど、古澤くんがなかなかリアクションしなくて「工場長さん! 工場長さんは、ホントにこのネタいやなんですね!!」って、本編で言った流れから、カテコの古澤くんが、いつもの感じのご挨拶の後「そして、安田さんのアドリブにも耐えて、明日からも精進していきたいと思っております」ってご挨拶して、それをうけた安田さんが「やんわりとアドリブはやめてくれと、今日にしてようやく言ってくれました。明日からは控えめにしたいと思います」って。拒否られたい安田が、安田すぎる。古澤くんごめんね、ほんとごめんねwwめんどくさいおじさんでごめんねwwww 翌日ちゃんとゆるくなってたねwww
  • 東京公演は、安田さんが緊張感をたぎらせたままの表情でのカテコが多いんだけど、そうやってちょっと笑顔見せて、和んだお話を聞かせてもらうほうが、ホッとした気持ちで、劇場出られるなあ。古澤くんがいつも、朴訥というか、ふんわりした話し方をされるので、和む。
  • 東京公演で何度か聞いた「飽きられないような存在でいたい」という言葉が、少し嫌だ。理由はうまく説明できない。
  • 27日、その前日のマチソワからのマチネで、少し声が枯れてて、モテリのとき喉が立て直せなくて、東京楽にはカテコで喋れないくらいだったの思い出して、ちょっと不安だったんだけど、28日は危なげなく。ほっとしたなー。この芝居、90分ずっといちどもはけることなく、水分もとらずに、ずっとひとりで声を出してるってだけでも、とてつもない。安田さんって、すごいひとなんだけど、すごい面ばっか見ちゃって、こういう地味にすごいとこわかんなくなりがちなの、ほんとすごい(笑)。歌もありますし、喉に負担の掛かりそうな声色もたくさんあるし、千秋楽まで踏ん張ってください。
  • 観客の私は、ずっと安田さんの声を聞けてるので、楽しい……。
  • 全編を通じて、満州の軍人が、いちばん声が好きなのだが、声がいいというだけで、あの人を憎む気持ちが目減りしてる気がしてならん(笑)。女!貴様には鋏をやろう。ゾーリンゲンだ。
  • 女性の床屋といえばあぐり、望まぬ捕虜虐殺といえば私は貝になりたい、首切り役人といえば山田浅右衛門活動弁士といえば徳川夢声か。私の中のイメージ。
  • お召し馬は、観兵式って言ってるなあ。
  • 名古屋編の歴史的背景は、富山の米騒動と、その遠因となっていたシベリア出兵。あいつは、ロシア革命を支持する主義者で、労働者の権利拡大を訴えてる。ある程度労働者の福利厚生(映画や理美容)に理解があると思っていた工場の搾取に憤慨して、女工たちにストライキを促したがために、あっけなく死んじゃう。
  • わたしずっとセリフが聞き取れてなくて「目玉の○○○○チャップリンとは、ずいぶん様子の違う写真だからねえ」を、てっきり、「目玉映画がチャップリンで、抱き合わせのカリガリ博士が難解だ」って意味だと思ってたんだけど、「目玉のまっちゃん(尾上松之助)や、チャップリンみたいな、人気の映画とは違って難解」って意味だね。解決!!
  • カリガリ博士 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%AA%E5%8D%9A%E5%A3%AB ちょっと観たけど、下は十一、二三、上は二十歳そこそこのレディースアンドガールズ諸君は、ぽかーんとするね。ドイツ表現主義かあ。インテリ。
  • 満蒙開拓団、東洋永遠の平和、ABCD包囲網、王道楽土 。

さてと。今日も行ってきます。悔いのないように!!

続きます→TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」 東京 - かくれが