かくれが

とあるスマオタの備忘録

TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」 京都

8/11 京都・金剛能楽堂

大阪の実家に帰省しがてらの遠征。毎日でも行きたかった。金剛能楽堂広いし、公演数もそこそこあるので、比較的チケット余裕あったもの……。いや、それ帰省とちゃうし。東京以外は観光重ねようという自分ルールを制定したんで、観光は、同行者の希望にそって、伏見稲荷祇園伏見稲荷で本気出しすぎて、山頂まで登り、若干足を傷めた(笑)。いい年なんだから、十代と一緒にはしゃいじゃいけない自分を過信しちゃいけない……。でも、楽しかったなー、伏見稲荷。わたしが好きな二条城行きそこねちゃった。山頂まで行くからw

高知はさんで、ホール公演の福岡終えて、今週から東京公演ですなあ。ホールで観ると、どんな感じなのかしら。わくわくする。

以下、ネタバレ。前記事既読が前提になってます。すみません。
能楽堂、脇正面もあるし、どう使うのかと思ってたけど、福井で横長だった舞台を、半円形にひろげたみたいな印象。かといって、目付柱をセンターに使うわけでなく(見えないもんねw)、うまく正面と脇正面にシーン振り分けてたなあ。目付柱で視界が塞がれる中正面の一部の席には、黒シートかぶせてありました。能楽堂の会場はもうひとつ、新潟でもありますけど、あそこは目付柱がはずせるそうなので、柱外してその席も使うんじゃないかな。ちなみに、脇正面だったわたしの席は、柱はともかく、舞台の端に設置したライトが、ちょうど目線の高さなのでめっちゃ邪魔でした。まあ、しょうがない。これも含めての会場選びなんでしょうなあ。ライトが、正面にも脇正面にも複数置いてあるので、舞台の形よりも、その光源の位置や角度の差異のほうが、福井と違った印象に見せてた気がする。影絵の時に「京都は狐がいっぱいいます」って歌ってたし(笑)。あと、舞台の高さでだいぶ印象違う。これはもう、福井ほど低い会場、ないんじゃないかなあ。低い会場のほうが、見づらいんでしょうけど、迫力すごい。能楽堂に話し戻して、橋掛もすごい使ってたけど、そんな動かなくても……いやそういうのやすださんらしいけど(笑)。正面の上手のほうからは、かなり見にくいんじゃないのかなあ、橋掛。

京都だから、能楽堂だからというより、実家から家族と行ってしまったのが、だいぶ違った観劇にw やっぱなあ、ひとりだったり、オタともだちと並んでるのとは、気持ち違うよなあww 行きたいというので、いっしょにチケットとったんですけど、楽しんでもらえてよかった。「安田さん、美人に見えたなあ。おまつ、大竹しのぶみたいだった」って言われて、目からうろこ。似てるwww「いたっ♡」ってなるとこめっちゃ大竹しのぶwwww あのシーン、福井だとわりと笑いが起きてたけど、今回はそうでもなく。笑うシーンではない気がするので、もっとさらっと痛がってもいいと思ってたけど、大竹さん風なんだったらしょうがない。かわいい。すんげえかわいい。おまつかかわいいし、あの人はかっこいい熊本パート。福井でもそらかっこよくて、でも「幕府はもうおしまいぞ!」って、羽織を翻す瞬間の、役の切り替わりをかっこいいと感じてた気がするけど、あの人がかっこいい。役の切り替わりで言うと、最後に古澤さんの歌とギターの音が消えて、拍手が鳴りだすまでの一瞬の、誰でもなくなった安田顕の顔が、いちばん好きです。カテコは安田顕になった安田顕ですし。あの人は、安田さんにあるようでないお侍さんの役なので、楽しいなあ。かっこいい。明治の熊本の首斬り役人って、どういった印象の立場なんだろう。そういうこと、不勉強でわからないの、ちょっと悲しい。調べてみるんだけど、わかんないことも多い。

しつこいけど、わたしは名古屋のあいつが好きで、「藁を褥のふたりきり」の歌のあたりとか、めっちゃうきうきしながら観てるんだけど、あいつが殴殺されるあたりから、つらいシーンしかなくなるので、あの時点で帰りたくなる。いや、帰らないよ!w しかし、満州の捕虜の虐殺シーンが、本当に吐きそうになる……。福井ではそこまでじゃなかったと思うんだけど、今回なんかすごいしんどくて、ちょっと震えてしまった。それをずっと引きずってるのか、いままで唐突感あって受け止め切れてなかった、ラストの土の下の汚れについてのくだりが、今までよりは入り込めた気がする。このラストのために反動つけるロープであると思われる、名古屋の浮かれっぷりですが、ますますがちゃがちゃしてるかなあ。影絵やら、客いじりやら、古澤くんいじりやら、大騒ぎ。でもなー、ここしかないもんなー、息つけるとこ。だから、わたしも、名古屋が好きなんだろうし。あいつかわいいよー、おまつかわいいよー。前回の語りで言うなら、ひろしのぱちんぱちんと、ぷいっとするカズちゃんがかわいいみたいな。

前回の感想で、わたしは完全に「松の木」を無視してるのですが、なんかさほど気に留めてなかったんだと思う。でも、「まつ」の符合を無視していいわけ無いじゃん! 日傘ばっかり気にしてる場合じゃなかった。日傘はまだなんかよくわかんないよー。気になるよー。さらに松の木の宿題が増えたよう。つか、わたし、最初のおまつの語りのあいだ、わりと気持ちが置いて行かれてるので、気になってないんだろうなあ。あれ、置いて行かれてること前提の気がしてるけど、どうなんだろう。戸惑う話をされている。つか、つーか、あの話してる日傘の老婆は、床屋だとも言ってないし、おまつだとも言ってねえ! とりあえず、老おまつって呼んでますけども。

単純な見落としはそれだけじゃない。そもそも、おまつまなぜ流れ流れているのだ。熊本が起点のような気がしていたが、熊本の語りに入る前のギターは「おまつは旅をする。おまつは彷徨う。流れ流れて、熊本へ。おまつはあの人に出会った」って、はっきり言ってるので、熊本の小娘が、満州の女傑になるという見方がもう違うんだよな、と。熊本は、剃刀の起点だ。おまつの起点じゃない。あの人は「お前は、俺以外の男なんて、知らんのにな!」って笑ってるけど。

最後のおとうちゃんパートが、ほぼ満州でのお話なのに、広島として表現されるのは、あれは満州での暮らしが「燃える燃える燃える、燃える!」以上に、「帰るとこものうなってしもうた」というおとうちゃんの絶望が、「次の朝にはもう知らない街じゃない」各地に居着けない、老おまつの旅の起点になってるんだろうなあ。ずっと旅をしているけど、過去のおまつと、現在のおまつは、旅をしている理由が違う。老おまつはもう、いっしょに生きる男は探してない。……たぶん。

こういうのなにもかも、意識しちゃうとダメなんだろうなあ。わかってんだけどなあ。今回はなんだか小賢しい見方をしてしまった気がする……。安田さんが、こちらが咀嚼して話せば、なんとか伝わるものですから*1って伝えてるものを、受け取る私がひねくれて受け取っては、なんにもならない! ラストをしっかり受け取れたのは、よかったんですけど。

古澤くんは今日もかわいかった。無茶ぶりにもきびきび応えてて、お見事です。安田さんはどうして親しくなるとキスを迫るの。迫るのはいいが(いや、古澤くんはよくないと思うけど!www)、だから顔を近づけるなと。わたしが古澤くんなら、あんなたびたび面積差強調されたら泣いてる。正直、初日観た時に、思いの外歌がうまくなくて(笑)、拍子抜けしたんですけども、京都はすっごい素敵だったなあ。音響設備の良し悪しかしら。福井、寺ですからな。音響もなにも。それとも、緊張してらっしゃったのか。CDは、公演終わってから聴こうと思います。劇中歌の音源、配信されないかなー。「藁を褥のふたりきり」の歌がほんと好きで、そろそろ歌える。ふたりきり 外じゃ木枯らし コオロギ鳴いて 中はとろとろほっこりぬくい 藁を褥のふたりきり 藁を褥のふたりきり。自転車で旅に出るあたりから、あの曲でBGMなんだけど。お客がくれた真っ赤に熟れた柿食べて、藁に潜って抱き合ってると、なんとも豊かな気持ちになった。舞台は舞台であり、映像は別物だけど、ここはたぶん映像になっても、無限リピ確定なので、映像収録あるっぽいの、嬉しいなあ。馬糞風の歌のほうが、安田さん歌ってるので、そっちも聴きたいけどー。

前回の宿題のこたえ。

  • すでに書いたけど、やっぱり、老おまつは、床屋とは言ってない。気が向いたらお店を開くの。あたしひとりのお店だけれど。そしてお客はもちろん男がひとり。なんのお店? 日傘が一本、剃刀一つ。あたしこれいつから持ってるのかしら。10年、20年、50年、70年、もっとかしら。
  • なんとかの鏡は、「うぬぼれの鏡」だった。→自惚れ鏡
  • 日清日露は、熊本パートで、あの人が死んだ後に出てくる。
  • 北海道の時期は、「天皇陛下のお召し馬」が出てくるので、天皇陛下の巡幸と思われる……んだけど、明治天皇の北海道巡幸(1881年)より、大正天皇の皇太子期の北海道巡幸(1911年)のほうが、時期は合うかなあ。熊本パートの終盤=日清日露(1894-1895・1904-1905)なので。

続きます→TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」 東京 - かくれが

*1:ローチケのインタビューをこないだやっと読みました