かくれが

とあるスマオタの備忘録

TEAM NACS SOLO PROJECT「安田顕 ひとり語り2014〜ギターの調べとともに。」

9/6 盛岡・おでってホール

というか、なんとなく感想書きそびれてて、いや書いてはいたんだけど、人様が読める形にできないまま、9月が終わってしまうとこだった。遅くなりましたが、一ヶ月半。公演を終えられましたこと、お慶び申し上げます!! ネタバレ話、普通にするね!!! おまつかわいいよおおおおおおお( ;∀;) とにかく毎日、おまつがかわいいと叫びたい日々であった。おまつちょうきれいかわいいえろい。やすださんちょうきれいですしかわいいですしえろいですし。楽しかった……。ネタバレ話です! って注意してまで、えろいかわいいって言えないじゃないですか。いや、わりと言ってた気がするけど。この女ちっとも好きじゃねえ! でもちょうかわいいだいすき!! 安田さんの顔をしていれば、老若男女を問わないんだというのが、新たな発見でした!!!www

私が知ることができた範囲では、ほぼすべての公演で、当日券が十分に出されていたのが、素晴らしい公演だったなあ。前売り時にあれだけ取れなかった東京も、補助席ざぶとん席で、ほぼ全プレだったようにお見受けします。「観たい人が観られる」って、すごく大事だと思う。私が言うなってやつなんですが、先行前売りからがっついていけるような熱心なオタだけのものであってほしくない。いろんなひとに観て欲しい。個人的にも、周囲の観たいって人を、オタの全力でとったチケットで、お誘いできたので、よかった。チケ取り手伝ってくれた友人各位ありがとう……!

SODA 2014年 11/1号
SODA 2014年 11/1号
posted with amazlet at 14.09.30

ぴあ (2014-09-22)

SODAの連載がお休みで、村国座の公演のレポ。公演中に写真撮影ができないために本編のお写真がないので、通し稽古の髪の毛のあるおまつにめっちゃそわそわする……。ファンクラブの会報の方には、完全体のやつが載ってたけど、あれもリハかな。結局、映像収録しなかったみたいなので、これらの何枚かのお写真だけが、目に見える形で私の手元に残るおまつだ。めっちゃ美人やってんて、現場では(笑)。いや、わたしの目には、お写真も美女に見えるんですけども。前回のひとり語りに関しても言ってたけど、映像がだめなら音源だけでも欲しい。今回は特に古澤くんのギターもあるし、欲しい。(追記:CS放送あるみたいですねー! お花来てたのに、中止になってたとかでなくてよかったw)

その他、雑誌類、このへんがおもしろかったなあ。プラスアクトが一番語りの話してるかな。ファビュラスアクトは、あんまりひとり語りでもないんですけど、ロングインタビューやっぱいろんなこと読み取れるので。アクチュールのおさしんがぶっちぎり好きです。なんで髪の分け目逆なんだろ。

以下、いつものかんじのやつ。ここまでで、3万字くらい書いてるのを、全部読んでるのが前提みたいな書き方です。このお芝居、考えこむより、受け取ったものをそのまま大事にしたほうがいいんだろう。言葉を尽くせば尽くすほど、得るものはあるが、失うものが多いのは承知してるけど、わたしは考えるのをやめることができないので、最後までつらつら書きます。書くか書かないかの違いだけで、私は何を観たって、こうやって考え込んでいる。理屈っぽいのだ。性格が。今回、特に理由はないのですが、実験的に考えてること全部書いてみたら、考えこんでる割にほんと馬鹿だな! と、客観視出来たので、書いてるわたしには有益でした(笑)。
盛岡。ステージの配置なんかは、初日の小浜を思い出す。息詰まる空気の客席だったせいか、笑い声がものっそ小さいのが、あんまり笑わんわたしには、わりと気持ちよかった盛岡。東京と比べて、セリフのニュアンスが全体的に柔らかめなのは、発声が柔らかいからで、それおそらく喉がしんどいんだと思う……満州の軍人すら、あんまり張らないし。うーん。出来が悪いとかではないんだけど。こーゆーのもありだと思う。でも、わたしはここまで弱々しいおとうちゃんや、チャラ感強めのあいつより、前のが好きだなあ。好みですけど、こんなの。比較しちゃうの駄目ですね、リピーター。舞台の雰囲気が和らいだのと対照的に、客席の緊張感すごくて、終盤はそれに打って変わっての安田さんの鬼気迫る感じのっかって、とにかく怖かった。おとうちゃんの壊れっぷりがやばい。あんな怖い「穴、掘れー!」、わたしはあのときまで聞いてない。おとうちゃんが怖かったの引きずっちゃうので、その直後の東洋永遠の平和のくだりの、おまつの刹那的な幸福すら感じられないんだけど、こっちのほうが意図する演出なんかもしれん。「剃刀持ってあたしは切った」以降なんか、震え止まんないもん。怖い。これだったらあたし1週間ほぼ毎日観るとかできない……。能の面を取り替えるように、役柄が次々入れ替わるのを楽しんでるみたいな面もあったんだけど、今日の終盤のおまつは、男性でも女性でもなく、そもそも人でない何かに見えて、すげえ怖かった。東京楽で私に染み付いた怖いって感情が剥がれてくれない。恐ろしい印象で済ませていいのかなあ、この話。ずっと、そうならないように心がけて作られてる気がしてたんだけど、盛岡で観たものは、恐ろしさばかりが残る。ただ、おまつが怖いわけでも、お話が怖いわけでもない。とにかく安田顕が怖い。言葉のリズム……というか、とにかく「音」に重きを置いているのが、とても好きだったんだけども、その辺ちょっと甘くなってる感も。でもこれも喉かな……ほんとおつかれさまでした……。影絵は新作のネコ現る。

ゆるいとこでは、久しぶりに活動写真のドサ回り〜藁を褥のふたりきりの段取りがパーフェクトなの観たので、わたしとてもごきげんです!! おまつのちゅー、ばっちり見えたようかわいいよう。ちゅーのあと、おまつ泣きそうになってんのは、今まで見てない気がするけど、なんで泣きそうなの。幸せすぎて怖いとかゆーリア充的なやつか。そしたらその不安的中するのであかんw これは別に盛岡始まったことでもないし、なんでいままで注視してなかったんか、ってやつだが、あいつのつるつるに剃り上げた頭抱きしめたまま、「服をお脱ぎ」って耳元で囁くおまつすげえな! えっろ!! 東京までと芝居の感じ変わってて、「服をお脱ぎ」が大変ドスのきいた感じで発せられるので、あいつこの瞬間もう食われるの覚悟したんだろうな、って。名古屋おまつの肉食ぶりやっべえ。ちなみに東京までは「サーベルの痕」のほうがえろいなって思ってました!! えろいしか言ってねえ!

この盛岡が最後だったんですけど、やはり最後まで好きじゃなかったなあ、このお話。大変面白く観ましたけども、好きじゃないなあ。それを、重ねて言うことには、意味がないけども、結論として「好きじゃないな」と。好きじゃないということは、おもしろさや、興味や、そういうことには、些細な問題なんだなほんとに。おもしろく観た一ヶ月。ずっと考えてた一ヶ月。

小ネタメモ。
盛岡公演の後、観光で寄った小岩井農場に、馬ぞりがあった。実際に馬が牽いてるお写真もあった。だいたいいっしょじゃなかろうか。そういや「二間かな、三間かな」って、最初あんなにわくわくしながら言ってたのに、いつのまにかさらっと言うようになっちゃってたなー。このそりは、二間くらいでした。

  • http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%A3%AB%E5%AE%98#.E5.A4.A7.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E9.99.B8.E8.BB.8D 1877年当時、下士官を「下士」と呼ぶようなので、「4階級上の下士扱い!」は、下士官待遇の意。ちょうど西南戦争の年。
  • 「土壇場」は江戸時代の斬首刑の刑場だけど、まだ使われてる時期なんだなあ、明治初期。明治初期の刑罰が調べてもよくわからない。
  • 炭鉱作業の「先山」と「後山」 http://mc.soratan.com/coal3.html
  • おどさが取る百人一首の札は「われてもすえにー」に聞こえるので、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」だなあ。たぶん。https://www.shigureden.or.jp/about/database_03.html?id=77 そのまんま、「あの人に会いたい! あの人に会わせて! もう一度せめてあの人に!」って意味の歌もってきてんの、こっわ!
  • 「馬糞風」主に十勝で言われてたようなので、十勝なのかしら、おどさの山。
  • 「ものまね漫才ものもらい。一日歩いて米一升も、今じゃ昔の物語!」これ、物乞いして歩くってことかなあ。たぶん。
  • 「斯かる奸商! 悪徳商人どもを膺懲するには、鉄拳制裁あるのみだがや!」奸商=悪徳商人。「膺懲」は、耳慣れない言葉で、音で覚えて、あとから辞書を引いた。征伐してこらしめること。「露国膺懲」とか「暴支膺懲」とか、戦前はよく使われてた言葉みたいだなあ。スローガンか。このシーン、アジテーション演説ですしね。
  • 「活動写真の弁士」日本初の映画上映は1897年。弁士の最盛期は1920年代。活弁の上演台本というのは、外国映画の場合は、字幕の日本語訳があるだけで、他は弁士個人で作るもので、即興でやっちゃうひとも多く、台本という形式では存在しないものらしい。
  • 「フィルムやバイオリン、活動写真のドサ回り」バイオリンは、活弁の補助なのかなあ、それともフィルムとは別に奏でて歌う、流しの演歌師なのかなあ。
  • 「お百姓さんが籾殻焼いて、田畑に撒く灰作る、灰小屋で」伝統農法。灰は肥料用。調べると「はんや」って読む事例のほうが多く見られるけど、「はいごや」って言ってるよなあ。お写真とか調べると、舞台からイメージしてたのとぜんぜん違う建物だった。
  • 「紡績工場の女工」有名な女工哀史は1925年
  • ロイド眼鏡」大正〜昭和初期の写真でよく見る丸いあれ。カリガリ博士の眼鏡として出てくるけど、あいつがかけてる眼鏡もロイド眼鏡だよなあ、たぶん。
  • 満蒙開拓団満州事変(1931)のあとの、満州への移民政策。強制買収した土地。おまつとおとうちゃんのとこの多数の使用人は、おそらくみんな満州人なんだなあ。小作から、小作を使うようになった。
  • 「二十町歩の畑」1町歩は1町四方の土地の面積で、約9917平方メートル、3000坪。広い。
  • 馬賊」日本側の圧政に反抗する満州馬賊のゲリラ活動を指してる。
  • 「北は中国、東はウスリー川、川の向こうは露助の国。どっちからでもそのうち来よる。わかっとったことじゃ」「広島にはどえらい爆弾」広島への原爆投下が1945年8月6日、ウスリー川を超えて戦車が満州に来るソ連参戦が8月9日、終戦は8月15日。
  • 原作が書かれたのは、1973年。東西冷戦の時代。1972年から核軍縮が進むも、まだまだ核戦争の危機がリアルなころ。日中国交正常化も1972年。ベトナム戦争は1973年にアメリカ軍撤退、1975年まで続いてた。

わたしは、物語に政治的、思想的解釈をしたくないという思想を持っているので(ややこしい)、意地でもそういう受け止め方をしたくないのが、わたしの遠回りの原因だというのは知っているが、やっぱり「反戦」とかで片付けたくないなあ。つか、そういうふうにはわかりづらくできてますよね、これ。一応手をつくしたんですが、それでも原作にあたれなかったので、推測でしか無いんですけど、原作よりも政治色薄まってるんじゃないのかなあ。前回のFC会報で「時代背景や政治的な表現を、お客さんや僕自身も共感できるような物語に変えていく必要がある」(要約)って安田さんが書かれてるので、その時点でちょっとマイルドになってるのかな。しかし、このオブラートが、反発されることなく内面に忍び込んで、漠然とした重しを人の心に残す物語に仕上げてる気がする。わたしみたくどんなに目を背けていても、この重しって今後効いてくるんだろうけど、そのまんま作中でおまつがそう言ってるよな。それでも、なんだか美しい物語だった。原典って、もっとストレートにこの世が醜く憎いという話なのではないかと、勝手に思ってて、わたしが観たものは、安田さんか、麻生さんか、とにかく誰かの意図で美しくなってる気がしてならない。

おまつが出会う男というのは「戦」なので、最後のおとうちゃんが自分から死んだあと、「さあ、ここへ来て」って誘われても、おまつのところに来た男はいないんだ、現在に至るまで。たぶん。でも、これから先の50年70年100年、どんな男に会うかはわからない。志願して戦う男の熊本や、おまつに請われてその手を血に染める満州より、ポップにかわいらしく描かれる名古屋編で、5万人規模のテロをアジってる主義者が、実は一番大きく戦ってるよなあ。蝦夷はここでもよくわかんねーな。この世界の因果と業が全部おまつに還元されるのを見て、どうせいっちゅーねん。「あたしは無邪気に見たいってせがんで」が、罪の原点であり、そこから罰を受ければ受けるほど、罪が重なる話なんだけど、無邪気に愚かだった女が、衆愚の象徴として、ひとり罰を受けてるのが、なんとなく解せんのだと思う。剃刀の業の大きさに比べて、剃刀に対するおまつの罪って、その後何をしても拭えないもんなんだろか。ひいては、死体の埋まった地面にアスファルトを敷いて暮らすことは許されないことか。物語の因果律は存在するけど、それ、おまつが、個が責を負うような因果じゃないだろう。いやまあ、それが八百比丘尼伝説ってことなんだろうな。比丘尼だって、何をしたわけでもなく、永遠の修行の途につくしかなかったんだもの。おまつは比丘尼のような聖女であり、死を呼ぶ魔女で、それってどちらも同じこと。そろそろ書いてることが堂々巡りだ。

しかし、おまつという個を好きになれるかというと、それもまた難しい。職業婦人であり、ひとりでも生きていけるおまつは、時代背景からするとすごく先進的な、女権拡張とか、婦人解放とか、なんかそういう人物像だと思うんだけど、内面的にはすごく男に依存していきたい女なんだよなあ。名古屋や満州を見るに、むしろ男と生きるとだめになる女みたいな気配もする……。それでもかわいくて切ないおまつ。前回も書いたけど、蝦夷のマイトにつるはしあてて死んじゃった人の家に一年余りもおどさが入ったくだりで、わたしめっちゃ悲しくなるんよな。おまつには子がない、というか家がない。おどさがあの家の母子と家庭を営んでるけど、おまつはおどさと暮らしてた様子が描かれない。おどさ以外の男とも、家庭を作ってる様子がない。かろうじて満州の序盤かな。でもやっぱ男女の褥の匂いの方が強いように思う。蝦夷の終盤に出てくる「乳を吸う」は、そのまんまセックスのことなんだけど、おまつの乳を吸うのは男たちだけだというのが、なんとも切なくなる。けど、これ考え過ぎなんだろうなあ。あまり好きになれない女性だと思いながら、そこまでの思い入れを持てるわたしのおまつに対する愛着の担保は、安田さんがわたしの前に顕現させた人物だという点に他ならないので、ここでこうしてこの物語に出会ったのって、めんどくさ……僥倖ですね!w

雑誌のインタビューなんかで安田さんが言う「老いに憧れる女性」というのが、わたしにはまったくわからない。気持ちがわかんないとかじゃなくて、一度も老いに憧れてるようには見えなかった。つか、老いるという概念があやふやな世界に見える。前回のひとり語りの、麻生さんとの対談を読み返してみると、麻生さんの「日傘と剃刀」では、ほんとうに「人魚の肉を食べて不老不死になった女性」なんですね。安田さんのは、不老不死なのかどうかもよくわからない。明治初期から終戦まで、さほど年老いてないように見えるけど、それは時間の流れのほうが物語上の嘘みたいにも見える。公園で語ってるおまつが、老女として表現されてるせいかと思うんですけど。おまつ以外の登場人物は、一時的にしか存在しないので、年とらないし。作品は、観たわたしの、わたしだけのものだと思うので、作り手の意図をそんなに汲みたいわけでもないですが、安田さんがいちばん心惹かれたポイントらしいのに、ちっともわかんないのは、さすがに悲しいんですけど(笑)。そこを踏まえて、老いることを「正しいこと」とすると、公園で語るおまつが老いているのは、満州を最後に男=戦を取り込んでないからなんですかね。

どうでもいいが、こんな芝居をやりたいと話す謎の男性が、行きつけのバーに現れ、ギターを弾けと迫るのも、現代怪談ですねえ(笑)。古澤くんのギターを含め、音の舞台でした。舞台の上にあるものを、あるままに見てるほうなのもあって、一人芝居となると視覚よりは聴覚の方で観劇してたらしく、記憶力悪い方のわたしも、わりとセリフ覚えてるんだと思うんだよなあ。ためしに、ほぼ全部を書き起こしてみたんですけど、おそらくそこそこの精度ですけど、できなくもなかった。書き起こしててわかるのは、私の中で気持ちのいいリズムの箇所は、やっぱすらすら思い出せるんだけど、そうでもないと出てこねえw 前後の文脈とかから、無理やり埋めてる……。やっぱ、その場で聞いて、言葉からちゃんと意味とれてることって、何割かしかなくて、こうやって思い起こすと、新しくわかることあるので、繰り返し観るのも、記憶から言葉を書き起こしてみるのも、すっげえ意味あるわ……。

そして、安田さんのばかばかばかばか!!!! 血反吐ってあれだろ、あたしが体調不良疑い始めた日だろおおおおお!!! ほぼ毎日サンモールにいたおたくはわかるよおおおおお( ;∀;) 喉焼いてるから、声おかしかったんだよなあ、うう。わたしが各担当に持ちたいうちわが「生きて!」「死なないで!」「生きててくれてありがとう!」すぎる。その後の公演を無事に終えられてるので、大事なかったんでしょうけど、ああいうことファンには言わない方だと思っていたので、その点にもびっくりしてしまった。言わずとも、目に見えて痩せてたけど、それはうぉりゃとかもそうでしたしねー。あのときは、アスリート並みの体脂肪率と、肉体年齢が十代であることを聞いて、それはそれで驚いたものです。なんにせよ、お健やかに、お仕事なさってください><

今回ほんと気が立ってたんだろうなあと思うの、カテコでお話されるときに客席に反発心みたいなのあるの垣間見えてた。誠実なひとだなあ、と思う。あの反発は、自分は決して自分の心にたがうようなことを、あなたたちに言いたいわけではない!! ってことであって、お前ら黙れやくそが! ではないし、反発してる自分に自己嫌悪抱えてるのも見える。普段はそれもきちんとひっこめてはるわけで、本当に誠実な方なんだと思います。そもそも、カテコのご挨拶なんて、そんな真摯に向き合わなくても、あたま下げて、お決まりの口上喋って、すっと帰ってええもんやと思う。顔以外は好きじゃない! のポリシーに反したこと言いますが、捻くれてるけど誠実で、つまらない嘘は簡単につくけど、大事なことがどうしても譲れず、不器用にしか振る舞えないとこは、どうしょうもなく愛おしい方ですね……まあそんなこと知りませんけどね! 安田さん美しい! かわいい!! それはそれとして、アンコールがないという意味も込めて「この一礼をもって、感謝の気持ちとさせてください。本日のご来場、まことにありがとうございました!」が、本来用意されてる締めの言葉で、そこに着地したいんだろうに、今の気持ちを真摯に述べてしまい、毎公演あんまりうまくいかない安田さん不器用かわいい。ほんとはもっと上手く話せるって知ってるよ! この公演通して、安田さんのことが手に取るようにわかる……なんて不遜なことは申しませんが、妙に生々しくご本人の中身に触れられたような気がしたものでした。そういうことを考えていてふっと思い出す、レントゲン写真を使ったメインビジュアル。なにもかも、終わってしまえば夢から覚めるのでどうでもよくなるんですけど(笑)、わたしにとって特別な一ヶ月ちょっとでした。最初にちょっといいなと思ってから7年、舞台などにも通うようになって6年、飽きっぽいわたしが飽きないはずがない時間は過ぎたんだけど、あれが好きじゃない、これが気に入らないっていう減点方式でなく、あれがぐっとくる、ここがたまらんっていう加算方式で見えてるうちは、大丈夫なのかなーなんてことも考えました。前回、5Dのあとに出た写真集で「一人芝居はまだ荷が重い」っておっしゃってた安田さんが、こういう一人芝居を作られたこと自体、ここまで見てきてよかったなあと思ってるし、まだまだ見ていたい。ただ、わたしが観るには、荷が重い(笑)。

終わってしまえばなにもかもどうでもいいけど、ふとしたときに、夏日の射す公園で不思議な女の話を聞いたことを思い出す。

21時追記。

ちょうど今日、古澤くんのUST配信があって、ひとり語りの話がちょっと出て、メモ。

  • 劇中使用曲はほぼ古澤くんの作
  • 最後の曲は、イメージにぴったりだったので、 Crane Girl
  • 歌詞は必ずしも古澤くんが作ってるんじゃなく、セリフだったりもする。
  • 名古屋編の「流れに沿って下っていけば、三町あまりも川下の、夜明けの前の柳の根本に」のあたりの曲を演奏してくれて、タイトルは「柳〜転生」。
  • 柳の花言葉は、「別れ」とか。
  • って古澤くん言ってたけど、柳の花言葉は、わが胸の悲しみ・愛の悲しみ・自由・従順・素直 あたりしか出ないんですけども、「別れ」ないよwww
  • 転生ってタイトル、意味深だなあ。変な宿題増えちゃった。

もしかして、全部の曲にタイトルまでついてるんだったら、ほんとサントラとかなんとかならんのかちくしょう。
Crane Girl は3分8秒から。

ついでに、弁天座の古澤くん